こんばんは、伊矢見夕子です。
私はとにかく小学生の時から、「臭いものにふたをするのではなくて、臭いものを処理しないと意味がない」と固く信じてきました。
でも今になって思うんですけど、だから、こんなに疲れちゃったのかも。
自分でできないことまで抱え込んでなんとかしようとしてきたような気がします。
ずーっと前に、野良猫を見ると、あれこれ想像して、悲しくなっちゃう、と書きました。
通勤の道で子猫がたくさん産まれて、かわいいな、と思っていたのですが、
元気一杯の子猫ちゃんは、遊んでいて、そのまま道路にピョーン!!!と飛び出しちゃうんです。
それで、私は、「轢かれちゃう!!!!!!」と胸が潰れるくらいの悲しみになってしまう。
その後も、猫のファミリーが、ゴミ置き場を漁っていて、それを見ては「猫嫌いの人に何かされちゃう。。」と心配になり、寒くなってきては、大丈夫だろうか、と心配する。。
自分ではどうすることもできないことに心の力をこんなに使っているのは本当によくないことだ。
と思ったんです。
それで私は通勤でその道を通らないことにしました。
それって結局、臭いものにはふた、ってことになりますが、
自分ができることを一生懸命やって、できないことはできる人にやってもらう、
これが最善なのではないか。
そう思えたんです。
もちろん何が正しいかは分かりませんが、今の私にはこれが「いい!」と思える考えでした。
こうやって、迷いながら、その時々で、自分にいいな、と思える答えが出せたらいいような気がしました。(昔は一回決めたことを途中で変えることもすごく嫌でした)
それって、生きてるって感じがするな、と思います。
臭いものにはふた。。。?

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